蛇を踏む/川上弘美(1996年上半期受賞)


この作品は好きです。芥川賞受賞作でその肩書き抜きに面白いなあと思えた数少ない作品のひとつ。あとがきで川上弘美さん自身が語っているとおり、「うそばなし」の加減が心地よく、おとぎ話的な荒唐無稽な話を、大人の読み物として仕上げた感じがとても素敵です。

ストーリーとしては、主人公の女性がうっかり蛇を踏んだことをきっかけに、なぜか蛇が人間に化けて家に住みつき、まるでお母さんのように甲斐甲斐しく家事をしてくれる、とかいつまんでしまうと、とんでもない展開の話です。

しかし、一人暮らしの自宅のドアを開けて、そこに人間に化けた蛇がいたとしても、「ぎゃああ!」とはならず、のび太が普通にドラえもんを受け入れるがごとく、日常感覚のまま日々が過ぎて行くところが、はんなりとしていて独特の空気感。

ただ、うそばなしはうそのちょうどよさが大切で、うそすぎると途端に現実世界との接点が希薄になって、お話に入り込みづらくなります。

その点、「蛇を踏む」はほどよいうそ具合ですが、同じく収録されている「消える」「惜夜記」はうそ具合が強く、蛇を踏む→消える→惜夜記とうそ具合が強い順に個人的にはダメでした。

惜夜記はなんだか「銀河鉄道の夜」的な雰囲気ですが、もうここまで来ると訳がわからず、童話のようなところまで突き抜けてしまっていて、純文学というよりファンタジーとして楽しむべき作品という印象です。

芥川賞選考委員では、石原慎太郎さんと宮本輝さんが、「寓話にすぎる」という理由で批判していましたが、「消える」と「惜夜記」に関しては私も同意見です。

でも「蛇を踏む」だけは許容できる日常感覚のリミットを超えていないように思います。

ここの線引きがきっと人によって違っていて、「消える」までOKな人や、「消える」も「惜夜記」もOKな人もいると思うので、この批判は逆に面白いなあと感じました。

むしろ他の選考委員の、うそばなしを、何かのメタファーと捉える読み方のほうがはるかにナンセンスだと思います。現代社会のなんちゃらを象徴してるみたいなのは、この作品の読み方としては野暮です。

うその世界を楽しむという、フィクションの本来持つ面白さを改めて感じさせてくれる作品でした。


↓アマゾンでも、よくわからないという声はあるものの、全体としては高評価。
蛇を踏む/川上弘美

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