海峡の光/辻仁成(1996年下半期受賞)


函館を舞台にした物語。主人公が刑務官として働く刑務所に、かつて小学生のころ自分をいじめていた「元いじめっ子」の同級生が入所してくるというストーリーです。
奇をてらわず、これぞ純文学という王道路線でとても安定感があります。ここしばらく時代を遡りながら芥川賞作品を立て続けに読んでいるので、最近のみなさん、こういうのをお願いしますよ、と言いたくなるようなお手本的な作品でした。

主人公は元々青函連絡船で働いていて、運航の廃止に伴い失職。次についた仕事が刑務所の刑務官という設定です。

函館、青函連絡船、刑務所とキーワードを並べるだけですでにドラマチックで、あえてうがった見方をすれば、古き良き純文学のフォーマットを狙い過ぎとも言えますが、物語も文章も狙いを受け止めるだけの力があって文句のつけようがありません。純粋に、率直に、とにかく面白かったです。

興味深いのは芥川賞選考委員の評価で、元いじめっ子の受刑者が出所直前に不可解な暴力沙汰を起こす場面が争点になっていました。

この元いじめっ子はジョジョで言うところのDIOのような、謎の魅力を放つ悪の華的な存在で、こいつが何を考えているのか理解に苦しむ、というのが批判する選考委員の意見ですが、それに対して、わからないのが人間じゃないか、というのが石原慎太郎さんと宮本輝さんの意見で、私も後者に大賛成です。

むしろ他の選考委員がなぜ行為の説明にこだわるのか全く理解できず、そんなんだから芥川賞はダメなんじゃないかとさえ思いました。

そもそもこのDIOの行動は自分のなかでは結構ハラオチしてました。

学校や刑務所など、閉鎖的な集団のなかで巧みに支配者として君臨することに長けたDIOは、会社などの一般社会ではうまく適応できなかったんだと思います。上下関係もあるし、仕事ができるできないもあるし、学生時代のような人身掌握術が通用しなかったんじゃないかと。

結局自分が最も心地よく存在できるのは閉鎖的で特殊なコミュニティだけで、それは社会人としてはどうしようもなく屈折した人格の欠陥で、だから刑務所に入る羽目になっているんだけど、逆説的に刑務所に入ったからこそ、改めてそのことを実感したんだと思います。

もちろん、刑務所を出たくないがために意識的に暴力沙汰に及んだのか、居場所を求める本能がそうさせたのかはわかりませんが、「本質的に本当にダメな人」の悲しい姿はとても感慨深いものがありました。この人はきっと牢名主として年老いていくんだと思います。

小説の世界ではついつい救いを作ってしまいがちですが、ここまで救いようがないのは感動的で、個人的には暗い話はあまり好きではないのですが、グイグイと深い闇に引き込まれてしまいました。

↓アマゾンでもほぼ満点に近い評価。ごちゃごちゃ言ってた選考委員の人はこれを見てほしいです。
海峡の光/辻仁成

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